雑記

爺さんは80を超えた高齢だ
そんな爺さんが独白のように戦争時代の事を語ってくれた
曰く、20歳で徴兵試験があったらしい(爺さんは即合格)
曰く、兵隊の給料は5円50銭だった(はがき一枚1銭50)
曰く、食事はともろこし等を混ぜたご飯と、大根2切れ程度だった(週2回豚汁もどきが出た)
曰く、何よりも飢えが問題だった(日本時代では日曜の面会で母さんに飯を持ってきてもらったらしい)
曰く、中国では現地調達と称して、畑からかっぱらって食べた(食料の配給等無い)
曰く、ゆっくり等食べられなかった
曰く、当時の中国の米は石がとても多かったが飲み込んだ(それどころじゃない)
曰く、石鹸を支給され、自分で自分の服を洗っていた
曰く、不精にも洗わないとシラミが大量発生した(爺さんは何故かあまり沸かなかったらしい)
曰く、敗戦後は2食で飢餓に悩まされた(民家でのお手伝いで凌いだらしい)
曰く、病気で多くの同志が倒れたらしい(特に結核
曰く、帰国後も多くの兵隊が結核にかかって入院したらしい(爺さんは何故かry)


最後に発した爺さんの言葉
「今も酷いが当時はもっと酷かった・・・・」


記憶は薄れるもの、だからここに記す
将来のためにも